’09.2.22

とても尊敬するピアニストのリサイタルを聴いてきました。音色の美しさ、音への集中力、曲を大きくつかむ構成力が素晴らしく、人気・知名度も抜群のピアニスト(子供の頃に聴いた「ショパン・バラード全4曲」は忘れられません)。前半がシューマン、後半がショパンというプログラムで、どんな構成の演奏が聴けるかワクワクしていました。

コンサートを聴くときは「かぶりつき」の前方席を取ることが多いのですが、今日は音響の素晴らしいホールでしたので「たまには後ろのほうで」と思い、後ろから6列目で聴きました。

客席ほぼ全体が見渡せたからでしょうか、1曲目が終わった後、客席とステージの間に、何となく「齟齬(そご)」を感じました。1曲目はお客様も演奏家もまだ硬さがあるものですが、この曲を楽しんで聴いていない、「この曲、何?」という雰囲気さえ感じました。2曲目になってもあまり変わらず、30分近い大曲をワクワクして聴いている空気ではありませんでした。

お客様との間に微かでも違和感を感じると、演奏家は動きが硬くなり、やろうとしたことも空回りしてしまいます。感受性の強い演奏家なら、なおのことでしょう。人並みはずれた音への集中力が、断片的にしか聴こえてこないように感じました

今回のプログラムは、ショパンの有名な曲も含まれていましたが、全ての曲目がいわゆる「誰でも知っている曲」ではありませんでした。特に前半のシューマン2曲は、ある程度予習のいる曲でもあります。チラシには全曲目が掲載されていましたので、せっかく聴きに行くなら「この曲、何?」では困るし、楽しめないのではないでしょうか。

コンサートは演奏者だけでなく、聴衆も一体となって創るものだということを、私自身の反省も含め、改めて感じました。聴衆はもっと能動的にならなければ、コンサートを選ばなければと思います。そのコンサートを聴きに行く目的が「演奏家」はもちろん、「知っている曲だから」「ホールが近いから」「知人に誘われたから」でも「ピアノの音を聴いてリフレッシュしたい」でも何でもかまいません。行くなら自分なりの目的を持って聴きたいと思います。そうすれば、自分がコンサートに何を求めるかもはっきりしてきます。目的意識のある聴衆が増えれば、プロデュース・企画側にも影響を与えるでしょう。それによって演奏家の意欲もぐっと増すものだと思います。

「日本の聴衆はおとなしい」と言われて久しいですが、国民性ゆえ「ブラボー」や、ましてや「ブー(批判)」を声高に言えないせいだけかと思っていました(私も声に出したことはありません・・・)。でも目的意識の高さを問われているとしたら・・・・困ります。主催者も演奏家も聴衆も真剣勝負で、かつ素晴らしい時間を過ごせるコンサートのしたいものです。

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