’10.3.1

〔オリンピック閉幕〕

 

バンクーバーオリンピックが閉幕しました。
テレビ観戦や新聞記事を通して、今回もいろいろなことを感じ、考えさせられました。

 

スキークロスの滝沢宏臣選手の記事が目に入りました。
「海外遠征など年間経費は約300万円。ほとんど自腹。同級生らの呼びかけで後援会が発足し、支援の輪が広がった。」

私は子供の頃、「企業に所属する選手は、午前中は社員として働いて、午後から練習をする」と知って、とても驚いた記憶があります。
でも今では「午前中働いて」いたら世界を目指せません。
海外遠征、さらにワールドカップで世界を転戦・・・。アルバイトすらままなりません。
かかる金額は競技や選手によって違うと思いますが、これでは何年も選手生活を続けるのは大変です。大企業にスポンサーになってもらえなくとも、何らかの支援に頼らざるを得ません。

結果は29位。
36歳でかなえた「オリンピック出場」に『あきらめなければ良いこともある。これからどうやって借金を返そうかと思うけど、僕にとっては、そこまでしても挑戦する意義があった』とのコメント。
「支援を受けて競技を続ける」ことを選んだ覚悟を改めて感じ、背筋が伸びる思いをしました。

 

クラシックの演奏家も、楽器メーカーなどが支援アーティストを持つようになってはきましたが、まだまだ少なく、スポンサーなどほとんど望めない「全額自腹」が多いのが実情です。
「企業に所属」も出来ず、演奏に専念出来る人は、世界中を見てもごくわずかです。
「オリンピックでメダリストになれば、ほぼ一生が保障される国もあるのに、日本はスポーツ後進国だ」と言う意見も目にしましたが、芸術よりもずっと恵まれています。

でも「スポーツは注目されている分、恵まれている」とうらやむのは簡単ですが、「仮に多額の支援を受けられたとして、自分はそのプレッシャーに耐えていけるのだろうか。」と自問しました。
もっと言うと、「支援を受けない分、自分さえ納得いけばよいとの甘えがないだろうか。」とも思いました。
スポンサーや後援会に頼らざるを得ないスポーツ選手の覚悟とプレッシャーは、今の私とは比べ物にならないと思います。
お金云々はともかく、その覚悟を持って競技を続ける選手たちの精神力は、ぜひ見習いたいと思いました。

 

また、レース後・演技後の笑顔がすてきな選手たちを見て、ふと「私は演奏後、疲れきったような表情でお辞儀をしていないだろうか」と思いました。
お客様への感謝の気持ちは意識しなくても自然に湧きあがるものですが、良くできたと思った時も、瞬時に反省点が頭をよぎってしまい、何だか顔が引きつったままお辞儀をしていることがしばしば・・・。
(ビデオを撮っていることもありますが、お辞儀の際は正面から強いライトを浴びているため、光が反射して映ってしまい、表情があまり判りません)

こういうことは、取り繕ってもしかたないのですね。
反省は、後で冷静になってからすれば十分。力を出せたなら、まずは喜びに浸るほうが、心身ともに良いに決まっています。コンサートの雰囲気だって良くなります。

 

報道側の演出も否めないとはいえ、いろいろなことを感じ、考えさせてくれるスポーツはやはり素晴らしい。
音楽もそうありたい・・・とまで感じたオリンピックでした。

 

 

‘10.2.26

〔レッスン〕

 

井上二葉先生のレッスンを受けてきました。
5/23のリサイタルで演奏予定の、ショパン「ポロネーズ No.6(英雄ポロネーズ)」です。
先生ご自身も3/27に広島、4/9に東京でのリサイタルを控えていらっしゃり、お忙しい中をお邪魔しました。

ショパンの楽譜をいろいろ見直していることもあり、この曲でも細かいアーティキュレーション(区切り方)の処理に始まり、それぞれの音色バランスに苦労していました。
練習中に録画してチェックし、「音色そのものは良いけれど、いまひとつ流れに欠けるなあ」と感じるのですが、治すと余計変になったりして、なかなか満足する状態にならず、困っていました。

先生は、生徒の演奏がマズい時、一瞬「・・・」と無言になられます。それだけは避けられましたが、やはり「細かい処理の気遣いや身体の使い方も良いけれど、フレーズの取り方が小さすぎ」と指摘されました。
さらに、冒頭部分から音色の変化、タッチの深さ加減など、みっちりとレッスンして頂きました。
普段から聴くことに神経を注いでいても、まだ聴き取れていないことの多さを反省しました。

 

帰宅後はレッスンの録画を見ながら復習です。
レッスン中は先生の仰ることを理解し、音にしていくので精一杯・・・。もっと感覚を信じて、頭で考えすぎないほうが良かったかもしれません。
いずれにしても、見直しができるのは助かります。
ただ、ビデオでの音の再現性に限界を感じてきているのも事実ですので、もっと微妙な音色の差も聴き直せるよう、最近話題の、高感度マイクを誇る「ポケットレコーダー」を買おうか考え中です。

 

 

’10.2.24

〔善家賢さんの「本番に負けない脳 −脳トレーニングの最前線に迫る」〕

 

聞き捨てならないタイトルのこの本は、NHK報道番組ディレクターの善家賢さんが、「脳科学の最新理論が、どのようなかたちでスポーツ・医療・ビジネスに応用されているかを迫った取材記録」とあります。特にアメリカやカナダでの取材記録には驚きました。

 

「ニューロフィードバック」。もともとは、てんかんの治療から始まった手法だそうで、いわゆる「メンタルトレーニング」とは全く違いました。
脳波を「周波数が遅く、集中を妨げるシータ波」「リラックスしているアルファ波」「注意や集中をしているベータ波」「脳が働きすぎ(Busy Brain)の速いベータ(Hi-Beta)波」から更に細かく分類・計測し、それをもとに自分で脳波をコントロールできるようにしていくトレーニングだそうです。

選手(トレーニングをする人)は、脳波を計測しながらゲームやアニメの画面を見ているのですが、脳波が目標とする状態でないと画面が暗くなったり、図形が壊れたりして、ゲームやアニメを続けられなくなる、というプログラム。
個々の選手に対して「普段はアルファ波が出ているが、本番になると頭で考えすぎて、速いベータ波が多く出てしまう。思考を止める技術を教えたほうが良い。」とか、
「ポジティブなイメージを思い浮かべるとアルファ波が高まっているのを強みにして、競技前からレースプランを徹底して想像する習慣を身につけさせる。」など、オーダーメイドのトレーニングで、その方法は非常に具体的なものでした。

日本では、根強く残る「根性論」や、「心の問題は選手個人の問題」と思っている指導者が多いこともあり、まずは指導者の意識改革が必要な状態だそうです。

 

「将来的には、より広い分野 −音楽の演奏、発声やリハビリなどへも応用できないかと考えている」研究者のことも書かれていました。
演奏もパフォーマンスですから、本番に臨む心理はスポーツと全く同じです。
でもやはり、スポーツのほうがずっと進んでいるのですね。

演奏の指導においては、メンタルトレーニングさえ、まだまともに行われていません。
身体の使い方に関しても、「アレキサンダー・テクニック」が認知されかけたものの、更に科学的な検証、ケガや故障を防ぐことに関しては、お寒い状況です。
故障したことを隠さなければ恥ずかしい、という風潮さえあります。

病気ならともかく、「手を傷めた」「メンタルが弱い」などの、今思えば何とも漠然とした理由で演奏活動をあきらめ、ひっそりと引退した音楽家がどんなにたくさんいることか・・・。
それに、もしもネガティブな気持ちを持ったまま生徒を指導していったら、その気持ちは生徒にも伝わってしまうのではないでしょうか・・・。

この本は「日本でも、筋肉を鍛えるのと同様、脳を鍛えることがより日常的に行われる日が、遠からず来るのではと感じた。」とまとめられています。
一般に普及するのは更に先のことかもしれません。
演奏家も、真剣に良い演奏を目指すなら、悪い意味で「芸術家ぶって」いないで、役立つものは何でも取り入れる姿勢が必要と思いました。
良いパフォーマンスができた時の喜びがひとしおなのは、スポーツ選手も演奏家も同じなのですから。

 

 

’10.2.2

〔右手の筋肉痛〕 

 

このところ、しくしく痛んでいた右手の親指から手首にかけての部分。昨夜から急に痛みが強くなり、「すわ腱鞘炎か?」と整形外科に駆け込みました。

「腱鞘炎ではなく、親指の内てん筋(何かをつまむ時に動かす部分)の筋肉痛。少し休ませればよく、心配ない」との診断、ホッとしました。
ただ、「よっぽどハードな練習をしていたんだねぇ」と言われ、「???」戸惑いました。いつも通りにやっているつもりなのに・・・。
2月に入って4月以降のコンサートシーズンも迫り、焦りから、気づかぬうちにハードになっていたのかもしれません。
練習の量だけでなく、強度もコントロールできなければ、と反省しました。

 

 

’10.2.1

〔ショパンの楽譜について〕

 

今年はオール・ショパン・プログラムのリサイタルをすることもあり、使う楽譜を改めて検討しています。

ショパンの楽譜が、出版社によって音やリズムまで違っているのはよく知られています。
ショパン自身が出版済みの曲でも更に手を加えていき、その都度校正もしなかった・・・著作権法ができる前の時代で、出版社に曲を売ったらそれきりだった・・・自筆譜を始め、多くの資料が戦争で焼失したり、未整理のままになっている・・・等々事情はたくさんあるそうですが、弾く人のみならず、後世の出版社も、どれを選べば良いのか困ってしまいます。
やっとショパンの母国・ポーランドで、ヤン・エキエル氏を中心に全作品の校訂作業が進められ、「ナショナルエディション」として出版されました。
「ショパンコンクール」では2005年度から「使用推奨楽譜」となっています。

私も以前は「腑に落ちない部分もあるが、ショパンコンクールで使われるのだから、自分もナショナルエディションに統一して演奏すれば良い」と考えていました。
ところが、「ナショナルエディション」でも一つに絞りきれずに2バージョン載せている曲もあります。
また、その後新たに見つかった資料や、それらをもとに校訂・出版された楽譜も出てきています。
二者択一どころか、三者・四者択一以上の状況です。

コンクールなら指定された楽譜を使えば良いですが、コンサートでは自分で考えて決めなくてはなりません。
でも、書かれた音の意味を深く考えるにはまたとない機会。
ただ「書かれた音を弾く」だけでは、そこに演奏者の共感が加わらなければ、音楽になりません。
リサイタルのプログラムも決まった今、様々な楽譜の検証もそろそろまとめ、心から共感できる音を奏でたいと思います。

 

 

’10.1.10

〔ピストンの「対位法」〕

 

作曲技術の一つである「対位法」。ハーモニーの連結を学ぶ「和声法」とは対照的に、音の流れ・横の線の書式を扱う、複数の旋律を組み合わせる技術です。

ウォルター・ピストン(1894〜1976)は、L.バーンスタインの先生としても知られるアメリカの作曲家。ハーヴァード大学での授業から生まれた「和声法」「管弦楽法」「対位法」は氏の3大著作といわれ、アメリカの音楽大学や音楽学部で最も広く使われているそうです。
音楽大学等で、「対位法」と「管弦楽法」は、作曲専攻の学生は必修ですが、他の学生は履修できないのが通例で、私も曲の練習の中で独習してきました。

 

4月に「バッハ・平均律第2集リレーコンサート」に出演することもあり、「対位法関係のもっと良い本はないかなぁ」と楽譜店に出かけたところ、昨年(2009年)に出たばかりの日本語訳(角倉一郎氏訳・音楽之友社)を目にし、ページをめくってみて驚きました。

バッハを中心に、コレッリからブラームスまでの譜例がたくさん! こんな作曲の教科書は見たことがありません。
まさに「最大の目的は、作曲家たちが実際に書いた技法の理解・作曲家たちの楽譜を『読む』力を養うこと」とある通りです。これなら個々の技法が、理論だけで学ぶのとは全く違い、生きた音楽として迫ってきます。

 

ピアニスト・故井上直幸さんの名著「ピアノ奏法 音楽を表現する喜び」の中に、和声法の授業の思い出が書かれた部分がありました。
「高校(桐朋女子高校音楽科)の3年間、石桁真礼生(いしけたまれお・作曲家・故人)先生の授業は、本当に充実していて楽しかった。
あるハーモニーが、たとえばベートーヴェンの曲の中で、どんなに巧みに使われているかを、実例で示してくださった。
学年末試験では、課題を先生も一緒に書いて、それが本当に美しいものに仕上がっていた。同じ課題から僕たちが作るものと、こうも差があるのかと驚嘆したのを覚えている。
ハーモニーの大切さを、活きたものとして教えていただいた。」
私はこれにとても感動したのですが、ピストンの著書もまさに同じです。

 

譜例を頭の中で鳴らしながら(すぐにピアノで弾いてしまわず、まず頭の中で鳴らしてみるのが大事。テクニック的なことにとらわれず、音の構成に集中できるからです。ピアノ曲の練習でも同じです。)解説部分を読み、項目ごとに課題を実習する(実際にメロディーを自分で作ってみる)。その繰り返しがとても楽しいです。
実習も、和声法を学んでいた学生時代に戻ったようです。
最後まで読みきるのに時間はかかりますが、楽しんで続けたいと思います。

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