’10.5.15
〔クリスチャン・ツィメルマンさんのリサイタル〕

5月から6月にかけて大規模なジャパンツアー中の、クリスチャン・ツィメルマンさんのリサイタルを聴いてきました。
横浜みなとみらいホールでの公演日に行きたかったのですが都合がつかず、よこすか芸術劇場大ホールのチケットを取りました。
5/1のD.ヨッフェさん、今日のツィメルマンさん。1975年のショパンコンクール第2位・第1位のピアニストを続けて聴けるなんて・・・。
もちろん勉強を兼ねてですが、贅沢三昧です。

曲目はオールショパンで、前半が「夜想曲No.5」「ピアノソナタNo.2」「スケルツォNo.2」。
後半は「ピアノソナタNo.3」と「舟歌」です。
自分のリサイタルでも弾く「舟歌」が入っていて嬉しい限り。
ソナタも、2曲を一度に聴ける機会は、ありそうでなかなかありません。

構成力・集中力のずば抜けた演奏でした。
私は音色(歌手の場合は声)そのものが肌に合わないと集中して聴けないのですが、音一つ一つに意思と感情をみなぎらせる、並大抵のことではないことをまざまざと感じました。
演奏を聴く時、「その重みを楽しむ」のと「流れに身を任せる」のと2つのタイプがあるとしたら、前者でしょう。(後者はもちろん、軽薄という意味ではありません)
ショパンと同国人だということよりも、ショパンの残した楽譜から読み取った知的な感性を存分に味わいました。
聴いたあとは身体がずっしりと重くなり、自分の身体が必死に「消化」しようとしているような感覚でした。

その後の新聞や雑誌のインタビュー記事で、興味深いことを目にしました。
「記念すべき年には最も価値ある作品を弾きたいと、ソナタ2曲をメインにしたが、マズルカにすることも考えていた。」・・・マズルカは大きなホールには向かないため、ソナタにしたのだそうです。
「ショパンの偉大さとは(今年は多くのピアニストがこの問いを受けていると思います)、自分の内面を正直に表現する術を見いだすため、彼の音楽はどんな国の人でも、音楽を学んでいない人にも理解できる『言語』に到達した。」・・・素晴らしい表現。感服です。
「来年(2011年)は公の演奏活動を休止し、長期休暇をとる。音楽以外の理由があるが、それは話せない」・・・記念の年にこれだけのツアーをこなされた後のこと、当然でしょう。理由もちょっと気になりますが・・・。
「大きなコンサートは、計画から本番まで2年もかかる。時間とともに音楽への『恋愛感情』が薄れるのは嫌」・・・巨匠でもモチベーションの維持に神経を遣うのですね。納得です。

「今後、ソナタをリサイタルで弾くかどうか分からない」・・・まだ50代。本当にそうなのでしょうか・・・。
コンサートを無事終えるまで、体力はもちろん、精神力をどんなに消耗するか、ピアニストの末席に名を連ねるに過ぎない私でもひしひしと感じます。
超一流のアーティストが感じるプレッシャーは、私の想像をはるかに超えるものと思います。
ファンとしては残念ですが、一曲一曲の演奏後、椅子から立ち上がる寸前に垣間見られた、全てを出し切り、消耗したような表情・・・。
「最も価値ある作品」であるソナタにこれまでの全てを注ぎ込んだら、もう次はないと思うのも理解できる。僭越ながらそう思います。
演奏を楽しむだけでなく、さらにいろいろなことを考えさせられたリサイタルでした。


’10.5.8
〔通し練習〕

5/23に「ピアノ名曲コンサート vol.5−ショパン名曲集」を行う「ヨコスカベイサイドポケット」を借りて、通し練習をしてきました。

それほど長い曲を弾くわけでもないのに、あまり何度も舞台袖にはけるのは避けたかったので、自宅練習の際もプログラム前半・後半各1回ずつにしていたのですが、やはりステージは暑かった・・・。
もう1回ずつはけて、水分補給をすることにしました。
休憩とアンコール以外全くはけず、長く弾き続けられるピアニストをたくさん見てきているので、とても気がひけました。
なぜ自分は一曲一曲にこんなに消耗するのだろうか・・・。

演奏に30分以上かかる長い曲(ソナタや組曲など)は、1曲で前半または後半を「占領」してしまうため、多くの作品を取り上げたいリサイタルでは、なるべく避けています。
どうしても小品が多くなるプログラムで、曲ごとに気持ちを切り替えていかねばならず、自分で自分の首を絞めているのだろうか・・・。
様々な作曲家を取り上げているならともかく、今回は全てショパンの作品。
「流れ」を作りやすいはずではなかったか・・・。
不安に襲われると、マイナス要因を突き詰めようとしてしまい、ますます不安になってしまいます。これは改めたいです。

ナレーションの伊礼清子さんが仰っていたことを思い出しました。
「勢いで弾き続けるタイプのピアニストもいるだろうが、曲の余韻、音色の余韻をしばし味わいたい演奏もある。希代子さんはそのタイプだと思う。自分が弾きやすいペースを崩さないほうが良いのでは。」

色々なコンサートを聴きに行くのは勉強でもあり、とても楽しいけれど、聴きすぎて却って自分の演奏に迷いが出てしまうこともあります。
今年は特にショパンのピアノ曲を、コンサートでもテレビなどでもたくさん聴いているのに加え、自分の本番が迫ってくると、よりナーバスになってしまっているのかもしれません。
ないものねだりはせず、今出来ることを精一杯やる。迷いを振り切って演奏に集中するにはこれしかありません。
先月の「大倉山水曜コンサート」に引き続き、精神的なことが課題だなと思います。
自分は果たしてどこまで成長できるのか・・・楽しみでもあります。


’10.5.6
〔FM収録〕

コンサート前にいつもお邪魔している横須賀地区のFM局「FMブルー湘南」さんに、5/23「ピアノ名曲コンサート vol.5−ショパン名曲集」のお知らせも兼ねた収録に行ってきました。5/15放送の「ウェルカム・スタジオ」です。
いつもありがとうございます!

まずは「そもそもショパンって何?」。
曲を聴いていただくのが一番早いので、ショパンの名曲6曲(「夜想曲No.2」「別れの曲」「幻想即興曲」「英雄ポロネーズ」「夜想曲遺作」「小犬のワルツ」)の冒頭を録音したMDを、番組中にかけていただきました。
誰もが聴いたことのあるフレーズ、これを全部作曲したのがショパン・・・と、
リサイタルで取り上げるショパンの紹介に入りました。

後半は「ショパンを弾くには」。
ショパンの作品を美しく弾くには、独特のコツがいくつかあるように思います。
その一つが「手首の高さ」。
他の作曲家の曲より、手首を高めにキープしたほうが良いように思います。
先日のヴァイオリンリサイタル曲を平行して練習している間は、特に気をつけました。
そんなことを交えながら、パーソナリティの鈴木初音さんと楽しくお話させていただきました。


’10.5.5
〔小林明代さんのリサイタル〕

ヴァイオリニスト・小林明代さんのリサイタルで共演させていただきました。
小林さんの素晴らしさは、何と言ってもつややかで伸びのある音色!!
ご本人は「楽器が良いだけ」と謙遜していらっしゃいますが、良い楽器ほど弾き手を選ぶもの。
華奢なお身体のどこにそのパワーがあるのか、本当に不思議です。
会場も音響の良さで定評のある、横浜・フィリアホール。
5年ぶり、待望のリサイタルで、その美音に存分に浸ることが出来ました。

今回は無伴奏が2曲、「ヴァイオリンと琴」による演奏が2曲あり、ピアノ伴奏の曲は、プニャーニ「ラルゴ エスプレッシーヴォ」・ショーソン「詩曲」・バルトーク「ルーマニア民族舞曲(全6曲)」の3曲。
そしてアンコール曲の、ブロッホ「ニーグン」とドヴォルザーク「我が母の教え給いし歌」で計5曲。
いつもより曲数は少なかったのですが、曲ごとの緊張感は変わりませんでした。

伴奏の時は当然ですが、自分のピアノ以外の音をしっかり聴かなければなりません。
まるで耳をもう一つ増やしているような感覚です。
合わせの段階から、頭であれこれ考えず、ひたすら聴くことに徹しました。
本番では緊張感の中、磨きぬかれた美音を聴ける幸せで、心が満たされていくのを感じました。

ピアノの状態も素晴らしく、いつもより歌いやすく感じました。
特にショーソンでは、私には珍しく、普段の練習よりも多彩な音色が出せました。
調律は、スタインウェイのピアノを使った1stアルバムのレコーデイングを担当してくださった、松尾楽器商会の執行直(しぎょう ただし)さんでした。
ピアニストにとって調律師は命綱。伴奏の時も同じです。
今年も藤沢リラホールでのリサイタル(11/28)で、調律をお願いしてますので今から楽しみです。

無伴奏の2曲は上手側の舞台袖で聴きました。
「自分もこんな風にのびのびと、自信を持って演奏したいな・・・」と思いながら聴いていたのですが、
ご本人は「恐怖心との戦いだった」とのこと。驚きました。人の心の中は分からないものです。
「何があっても、お辞儀だけはきちんとしようと思った」とも。
舞台での態度は、演奏に人生を賭けるプロとしてのたしなみ。さすがです。
聴く側はうっとり出来ても、それを産み出す側の心労は大変なもの。
それを改めて感じながらも、小林さんのように「また聴きたい」と思わせる演奏家を目指したいと思います。

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