’10.7.17
〔横須賀交響楽団の定期演奏会〕

10/24にショパンの協奏曲を共演させていただく、横須賀交響楽団の「第107回定期演奏会」を聴いてきました。
夏と秋・年2回の定期演奏会のほか、1月の「カジュアルコンサート(名曲コンサート)」、「團伊玖磨『組曲 横須賀』演奏会」、年末の「ベートーヴェン『第9』演奏会」と、とても充実した活動をされています。
今年2010年は、アメリカ海軍バンドとの「フレンドシップコンサート」も始められるそうです。
今日のプログラムは、ワーグナー「ローエングリン前奏曲」/メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」/ドヴォルザーク「新世界より」でした。

アマチュアオーケストラはほぼ「学生オケ(音大オケ含む)」と「社会人中心オケ」に分かれますが、一番大きな違いは、個人の演奏力よりも「合わせの回数」ではないかと思います。
社会人オケの合わせはせいぜい週1回。
個人練習だって、毎日できるとは限りません。
特にpp(ピアニシモ)の音色をそろえていくのは大変だと思います。
でもドヴォルザークは、気持ちと音色が一体になったかのような演奏でした。
指揮の石野雅樹さんも、暗譜で振っていらっしゃいました。

ソロ以外の演奏は、2人のデュオから100人を超えるフルオーケストラまで、「相手(他パート)の音」を聴きながら自分の音を出せなければ、全く合奏にならないもの。
ただ相手に合わせれば良いのでもなく、指揮者を見ていれば済むわけでもありません。
連弾をしていた頃、本当にそのことを勉強しました。
仮に新曲でなくとも、週1回の合わせで大曲を仕上げていくのは大変なこと。
ソロ曲でもヒーヒー言いながら練習している自分を反省しました。
共演させていただくのが、とても楽しみです。

横須賀交響楽団の定演プログラムは、曲目解説がとても充実しています。
今回の解説部分だけでも19ページ!
作曲者についてと曲そのものの解説が分かれており、作曲者にも親しみがわいてきます。
内容が正確なだけでなく、文章にとても温かみがあり、音楽辞典丸写しで何の工夫もないプログラムとは一線を画す内容。
前回(2009年秋)に聴きに行った時も感じたので、開演前にゆっくり読めるよう、今日は時間に余裕をもって出かけました。
次回の曲目解説はどんなかな・・・
それも楽しみです。


’10.7.12
〔高樹のぶ子さんの「ショパン 奇蹟の一瞬」〕

ショパン生誕200年の今年は、ショパン関連の本や楽譜もたくさん出版されています。
シューマンも同じく生誕200年なのに、なぜかコンサートも関連物もずっと少なくて残念。
生誕150年のマーラーに至っては、知らない人も多いですし・・・。
ショパンはほとんどの作品がピアノ曲と、言わば「とても偏っている作曲家」ですが、この人気ぶり。すごいです。

フランス・ナントの音楽祭にアンバサダーとして参加された高樹さんが、スペイン・マヨルカ島からフランス・ノアン、そしてパリと、ショパンがジョルジュ・サンドと出会ってから過ごした土地を旅して書かれた紀行文。
それぞれの時期に書かれた曲からイメージされた創作。
そして美しい写真とCD。
とても素適な1冊です。

今年は同じくショパンを題材にした平野啓一郎さんの「葬送」も読みましたが、この本の創作部分も、まるでショパンとサンドが目の前にいるかのようなリアリズムを感じました。
そして心のひだを温かく見つめるような文章。
高樹さんの世界に浸ることができました。

サンドがショパンに「貴方の小指は、きっと貴方より強い。こんなに強くてしなやかな小指を、私は初めて見た」と語りかけるシーンに、ハッとさせられました。
ショパンの手が男性としては小さかったらしいことは知っていましたが、
このところピアノを練習していて、響きにわずかな物足りなさを感じていたのです。
腕や手の脱力に集中しすぎていたせいかもしれません。
そうか、小指か・・・!
指の鍛錬に使っている「ピシュナ」から、小指にポイントを置けるものを追加してみたところ、早速効果が出ました。
意識するポイントが見つかると、練習もはかどります。
思わぬありがたさまで感じた本でした。


’10.7.10
〔自宅のピアノ〕

2007年にすべての弦を交換、2008年にすべてのハンマーを交換と、続けて「手術」を乗り越えてきた自宅のピアノ(ディアパソン 210−E)。
音色の安定しない時期が続いていましたが、今日の調律で、パッとよみがえった感じがしました。

「主治医」の(株)サウンドウェーブ・斎藤雅顕さんによると、ピアノにはそれぞれの「正常値」があり、やっと全体がその値に近づいてきたのだそうです。納得です。
28年目になるこのピアノ。
人もピアノも、年を経ればあちこちガタもきます。
せっかく正常値になっても、これからまた風邪をこじらせたり、お腹をこわしたりするかもしれません。
「ピアノは10年で寿命。どんどん買い換えています」などという声はとりあえず聞き流し、愛着のあるピアノをこれからも丁寧に見守り、自分の音も見守っていってほしいと改めて感じました。


’10.7.9
〔文学賞〕

「このミステリーがすごい!」の「大賞」受賞作と次点の「優秀賞」受賞作を読みました。
2作とも新人賞とは思えない素晴らしい作品で、とても面白く読みましたが、大賞の方は途中から「犯行の動機」が容易に想像できてしまったので、優秀賞の方がより強く印象に残りました。

巻末の選考委員の評を見て、驚きました。
「優秀賞作が大賞に一歩及ばなかったのは、題材に目新しさが乏しかったため。
同じ『モノローグ(登場人物の語り)型』の某作品が選考会の直前に刊行され、脚光を浴びていたのは不運だった。
小説作りのうまさは一番だったので、完成度よりオリジナリティが重視される新人賞でなければ、大賞獲得だったかもしれない。」
実力は問題なしと評価されたのに、思わぬ不運・・・。
そんな理由(失礼)でも運命は変わってしまいます。

さらに
「最終選考に残った5つの作品は、群を抜いた水準の高さで、どれもが他の新人賞では大賞か優秀賞を狙えるレベルだった。
しかし選考委員4名の評は、真っ二つに割れた。
片方が『A(大賞候補)』で片方が『C(対象外)』をつけていて、
誰も『B(議論の余地あり)』をつけなかった。
「小説に何を求めるか」の問題もからんでくるので、一朝一夕に解決できることではない。」

意見が割れるのは音楽のコンクールでもよくあることです。
「満場一致で1位」等と紹介されるのは、満場一致しないことの方が多いからで、数字で測れないものを評価する難しさを思い知らされます。
読者や聴衆など享受する側なら、純粋に好き嫌いで選べば良いですが、審査員・選考委員となると、結果に責任が伴う分、大変だと思います。

高校生の頃、ある音大の先生が受験生に向けて「本当に力のある人は、どこかで必ず認められる時が来る」と書かれたのを読み、感銘を受けたものでしたが、
これだけ情報量が多く、スピードも速い現代は、「今すぐここで」評価されなければ、忘れ去られてしまうかもしれません。
全体のレベルも上がり、ファンも「長い目で見守る」とか「育てる」という意識が希薄になり、飽きやすくなっていると思います(自戒もこめて・・・)。

パッと見てわかりやすいものだけに流されがちな今、ファンとして出来ることは、自分の判断基準をしっかり持ち、本当に良いと思った人を応援していくこと。
それが結果として、よりよいものを享受出来ることにつながっていくのだと思います。

選考委員の評の終わりに
「誤字脱字や読みづらい文章の訂正はもちろん、お約束通りの陳腐な展開(物語にあわせた偶然の連続など)がないよう、ストーリーを練って欲しい。
その判断は、豊富な読書量から得られるだろう。」
とありました。
雑な作業や基礎の未熟さ、表面だけの取りつくろいが見苦しく、結局自分の首を絞めていくのはどの世界も同じ。
肝に命じます。


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