2015.11.3 【ベルナール・フォクルール パイプオルガン×映像プロジェクト】

ブリュッセル音楽院教授で、オペラや音楽祭のプロデューサー、
そしてバッハやブクステフーデのオルガン作品全曲集など40枚以上のCDをリリースされているオルガニスト、ベルナール・フォクルールさんのコンサートに出かけました。

「パイプオルガン×映像プロジェクト  暗闇と光」と題された、日本初演プログラム。
チラシを見ただけでは、
「スクリーンに映し出された映像を背景に、オルガン演奏を聴くのだろう」
程度のことしか分かりませんでした。
でも、その曲目が魅力的で、とても気になっていたコンサートです。

バロック期から現代、自作に至るまで、数百年に渡るプログラム。
これを国内最大級のミューザ川崎のオルガンで聴ける、というだけでワクワクしてきます。

細川俊夫:「雪景」(武蔵野国際オルガンコンクール課題曲)
フォクルール:「コロリエルテ・フローテン」(色とりどりの様々な笛/自作自演)
グリニー:「ティエルス(3度管)・アン・タイユのレシ」
アラン:「幻想曲 第1番」「リタ二」
ブクステフーデ:「アダムの堕落によりて すべては朽ちぬ」「甘き喜びのうちに」
グバイドゥリーナ:「光と闇」
メシアン:「聖霊降臨祭のミサ」より2曲
J.S.バッハ:「我を憐れみたまえ  おお主なる神よ」
ブクステフーデ:「パッサカリア  ニ短調」

 

会場に着くと、ステージの中央にオルガンが置かれ、
後方に2枚の大きなスクリーンが掛けられていました。
客席は2階以降のみで、ステージ後ろと1階の席は、使用されません。

スクリーンに映し出された映像(映像作家 リネット・ウォールワースさんの作品)が曲ごとに切り替わり、演奏が進んでいきます。
フォクルールさんの演奏は、一曲一曲のテンポが実に自然で(私が一番苦労していることです)、
そのスケールはとてつもなく大きく、休憩なしの約70分間が、一つの大きな作品に感じられたほどでした。

 

映像付きのコンサートというと、作曲家の肖像や使っていた楽器、宗教曲なら教会など、
曲と関わりのある映像を映して、解説の補助とするのが一般的です。
しかし、自然や何気ない景色が映し出されたウォールワースさんの映像は、
特に曲との関連はありません。
なのに、演奏と一緒にすっと身体に入ってくる、不思議で心地よい体験でした。

 

映像と音楽について、フォクルールさんはインタビューの中で、
「大部分のハリウッド映画では、音楽は音響的な土台程度に過ぎない。
リネット・ウォールワースの映像では、観客は別の形で音楽に耳を傾けさせるようなものでなくてはならない。
そして、音楽は彼女の映像に、音楽なしでは生まれないような新しい意味を与える。」
と語っていました。

そして「暗闇と光」については、
「暗闇の中を歩くことは、光に向かって心を開くことに転ずる。
私たちは、感動すべき鮮烈な体験を生み出したい。」
とありました。
私にとっては本当に新しい体験で、
その卓越したセンスに、普段音楽を聴く時には刺激されないものを感じました。

 

一昨日に協奏曲の演奏を終え、今日はパイプオルガンの音色に浸って癒されたい・・・
そんな気楽な気持ちで訪れたコンサートでしたが、思わぬ収穫。
ぜひシリーズ化してほしいプロジェクトです。

 

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2015.11.1 【横須賀交響楽団 第118回定期演奏会】

横須賀の実力派オーケストラ、横須賀交響楽団さんと、
モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第20番  ニ短調」を共演致しました。
5年前の2010年に、ショパン「ピアノ協奏曲 第1番」でご一緒して以来、2度目の共演です。
またお声かけいただけたことがとても有難く、準備に励んできました。

今回の定期演奏会の曲目は、
ブラームス「悲劇的序曲」
モーツァルト「ピアノ協奏曲 第20番」
ブラームス「交響曲 第1番」。
プログラムのご挨拶文に「秋にふさわしい、哀愁感漂う短調の名作」とありましたが、
まさにその通りですね。

 

「協奏曲 第20番」は、モーツァルトのピアノ協奏曲全27曲のみならず、
モーツァルト作品全般の中でも、常にトップの人気を誇る曲ですが、
私はどちらかというと長調の作品の方が好きで、
この曲がなぜそれほど人気なのか、今ひとつ理解出来ずにいました
共演のお話をいただいた際も、第23番や第26番「戴冠式」、第27番など、
他の長調作品が頭をよぎりました。

でもここ数年で、モーツァルトの短調作品の良さがやっと分かってきたといいますか、
様々な感情が混ざり合ったような奥深い表現に感じ入る機会が増えていたのです。
今回もせっかくの機会、最初に提案された第20番に挑むことにしました。

 

この曲にはモーツァルト自身によるカデンツァが残されていません。
名曲だけあって、多くの作曲家やピアニストがカデンツァを書いていますが、
圧倒的に多く演奏されているのは、ベートーヴェンのカデンツァです。

ブラームスの「悲劇的序曲」が、初演の前にブラームスとクララ・シューマンとのピアノ連弾で披露された事実に鑑み、
第1楽章のカデンツァにはブラームスを、第3楽章にはクララ・シューマンのものを選びました。

「ブラームスとクララがモーツァルトに結びつくとは驚いたし、感激した。」
というご感想もいただきました。

 

ピアノソロのアンコールには、運営委員の団員さんと相談の上、
「暗い曲ばかりのプログラムなので、お客様がちょっとホッと出来る曲にしよう」
ということで、モーツァルトの「トルコ行進曲」を選びました。

協奏曲のアンコールで、全く関連のない曲を弾くのは、
次のコンサートの練習をしているような感じで好きになれません。
今回も、モーツァルトの曲を弾きたいと思っていましたので、この曲で良かったです。

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2回目の共演、しかも5年ぶり。
それなりの成長が期待されるのはもちろん、
年齢的にも、ソリストとして、音楽的にもっと引っ張っていくことを求められる雰囲気。
長いこと下っ端気分でいた私にとって、これは大きなプレッシャーでした。

 

ピアニストの仲道郁代さんは、著書「ピアニストはおもしろい」の中で、
「協奏曲を弾くときと、リサイタルでソロ曲をひくときとは、
ある種別人のメンタリティーが必要とされると思う。」
「ソロのときには求められない強さ。時には周りを省みないくらいの強さ。
わが道を行く強さ。
これらがないと、時折、舞台でへし折れてしまう。」
と書いていらっしゃいました。

熟練のピアニストでも、こんなに大変な協奏曲・・・
実際、そのくらい気持ちを強く持っていないと、良い演奏が出来ないなと感じます。

 

突然強くなることは出来ません。
毎日ほんのわずかずつでも、音楽的に納得のいく、自信を持って弾ける部分を増やす。
何があっても対処出来ると思えるようになるよう、地道な準備を積む。
それしかありませんでした。

それでも、初めて弾く曲だったこともあり、精神的には、やはりいっぱいいっぱい・・・
当日は指揮者の石野雅樹さん(横須賀交響楽団音楽監督)から、
「楽に行きましょう」と励ましていただく有様でした。
気持ちで負けずに最後まで演奏出来た時は、本当にホッとしました。

アンコールの「トルコ行進曲」も、協奏曲以上によく知られている曲。
やはりミスをしないよう、必死でした。

 

とりあえず事故なく終わったものの、
もっと音楽的に充実したものにしたかった、何かが足りなかった感があります。
今の私の想像力の限界だったのでしょうか。
これを深めるにはいったいどうしたら良いものか、模索中です。

意識を飛ばす、というと大げさですが、
日常をふっと忘れられるような時間を持てたら良いのかもしれません。

今まで考えなかったことを考えさせられた「第20番」。
やはり名作でした。

 

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2015.10.23/10.31 【伴奏の仕事】

毎年恒例のイベントで伴奏をしてきました。
どちらもステージでのリハーサルが出来ないため、毎回ピアノの状態に神経を使います。

1日目の会。
会場のピアノは、年に数回しか使われないらしいヤマハのフルコンですが、
今年はその会場が工事中のため、普段の練習で使っている部屋での演奏発表となりました。
ピアノはヤマハのアップライトですが、弾き慣れている楽器である分、安心感が違います。

2日目の会。
こちらは例年と同じ会場で内容も同じ。
ピアノはヤマハのフルコンです。
出演者がとても多い会で、音出し室でのリハーサルから舞台袖への移動、本番まで、
分刻みに決められたスケジュールに沿って行動します。
演奏に講評がいただけることもあり、和やかな中にも緊張感が漂う会です。

 

このところ伴奏では、ソリストとかけ合うような曲を除き、
「曲の背景を作っていく」感覚がつかめてきました。
今回もそうやって準備を重ねてきましたが、
本番では、まだ力みが抜けきれなかったように思います。

 

1日目の会は、弾き慣れたピアノで弾けたのですから、本当にいつもの状態で弾くべきところ、
「立派に弾かなければ」という気持ちから必要以上に力んでしまい、
グリッサンド部分が固い音になってしまいました。

2日目の会では、演奏時間が規定をオーバーしてしまうと、警告などのペナルティがあります。
これは、出演者が多い会ではやはり必要なこと。
時間に余裕をもって曲を選んでいますが、
前奏を弾き始めるタイミングや、曲ごとの間の取り方に、
いまだにプレッシャーを感じてしまっていました。
このプレッシャーも、本来全く不要なはずです。

 

「きちんと弾けて当たり前」
誠実に仕事を積み重ねてくれば、そう思っていただけることも増えるでしょう。
この新たなプレッシャーに負けず、そこまで歩んできた自信として腹に据えるには、
その辺の神経をもっとたくましくして、良い演奏を積み重ねていくしかありません。

毎年恒例の会でも、毎回反省があり、課題が見つかります。
めげずにこれからも、一つ一つのコンサートを大切にしていきたいと思います。

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